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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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富山

 
名古屋


北アルプスの鷲羽岳(わしゅうだけ)2924mに源を発した黒部の流れは、しばらくは雲の平(くものたいら)の台地をゆるやかにくだるが、薬師岳(2926m)からくる薬師沢に合流すると、巨岩をのんで富山湾にかけくだる。

約3000mの天の頂から、わずか百キロ足らずで海にそそぐだけに、その流れは想像を絶するもので、西に立山連峰、東に後立山連峰に迫られたこのV字型渓谷は、ついこの間まで人を寄せつけず、神秘に富んで隠されていた。

ここにアーチ式黒四ダムの建設が始められたのは昭和32年ーーー。ほとんど人跡未踏、けもの道さえないような渓谷をめがけて、大町(長野県)側から北アルプスの壁にトンネルをぶち抜き、大量の物資と延べ一千万の人員を送り込んだが、これが完成するまでに、171人もの殉職者が出るという難工事になった。

北アルプスの山々から集められた水は高瀬川となり、葛温泉の真ん中を通って大町にくだる。それは険しく落ち込む渓流を作り、滝となり,激流となって、しだいに川幅を広げながら、だんだんゆるやかに安曇平に向うのだが、葛温泉あたりは、まだ激しく岩をかむ激流。

ここの湯は、その昔、安曇平が凶作に陥ったころ、里人が山菜を求めて分け入ったときに発見された。葛温泉の「葛」とはヤマイモのことで、この近くには里人の信仰を集める薬師堂もあり、この湯へ里人を導いた白衣観音も祭られている。この高瀬川のくだる安曇平かいわいは、日本一のワサビのふるさとでもある。

雪解け水は、渓流をたどるのとは別に、川床の下や、もっと深い地下にもぐって流れ落ち、里にきてわき出すものも多い。

こうして北アルプスの花崗岩の砂で浄化されてきた里の水は、清いことでも日本一。

こうした水を毎日使って生活する信州の人たちの人情を象徴するように、振り返ると、右に唐沢岳、左に餓鬼岳の雪嶺が、朝の光の中に、くっきりとやさしい姿で浮いていた。



 

48.高原を走る小海線

50.波にただよう黄金の玉、大王の海

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