私的画報 私的画報 表紙へ 記事一覧へ戻る お問い合わせ 執筆者募集
アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
川田きし江 プロフィールを見る

過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

過去の記事一覧を見る

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

 
岐阜県土岐市



 夜明けの陽光さしそめる土岐川には,志野焼の紋様が漂っていた。流れ出した陶土の溶ける水は淡雪を浮かべたように濁り、その中に、朝の陽の光が無数の薄紅梅色の玉になって光っていた。その風景は、この土地の生んだ名茶器、志野焼の風情を象徴したものであった。



 東美濃の土岐は、羅生門で有名な源頼光の流れをくむ美濃源氏土岐氏の根拠となった土地である。始祖国房以来、4代を重ねることによって美濃国の武士の頭領となり、幾多の浮沈を重ねながら足利尊氏が幕府を開いたときには,「幕中筆頭の将、土岐絶えなば足利絶ゆべし」といわれるまでになった。

 土岐は美濃焼の聖地である。その陶祖は、信長から朱印状をもらい、天正・文禄時代の茶道繁栄期に多くの名品をうみ出した加藤景光・景延父子である。
瀬戸天目、淡雪が降り積もったような光沢と薄紅色の紋様をもつ志野焼の名品はここから送り出された。景光は瀬戸に窯を持っていたが、信長の寵遇があつすぎて仲間にねたまれ、土岐の久尻に逃れて新しい窯を開き、正親天皇から筑後守の官名までもらった。子の景延も大陸風の唐津焼を研究、新様式の連房式登窯を築いて、白釉も開発、黄瀬戸・志野・瀬戸黒・織部等を生み出して、久尻窯の名を天下に広めた。美濃の名はそこから広がり、飛騨・越中・遠江にまで流れていく。

 妻木氏は明智から分かれた土岐一族である。妻木川の峡谷に面した要害の地。妻木城を拠点に、尾張・三河の国境の守備についていた。

 石積みの残る妻木城跡や武士屋敷は、小規模ながらも中世の面影をよくとどめ、戦国武士の夢の跡が偲べる。

 このあたりから奥三河にかけては、化石植物ハナノキも生えている。

 土岐は、化石と陶器と美濃源氏のふるさと、国境の土地らしく、戦国哀話も多く残っている。土岐川・妻木川といった名が郷愁をそそる。

 





 

 

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

3.海賊大将軍のふるさと

次のページへ
ページの上部へ

プライバシーポリシー

利用規約

企業案内

よくある質問

記事を読む

私的画報とは

Copyright (C)PROSIT ASSOCIATES Co,LTD All Right Reserved